モラハラ相手に期待してしまう自分を責めなくていい理由 

はじめに読んでほしい記事

モラハラに気づいたあと、いちばんしんどくなるのは、相手の言葉や態度そのものだけじゃありません。「それでも信じてしまった自分」「また期待してしまった自分」「見抜けなかった自分」その“自分責め”が、あとからじわじわ心を削っていきます。でも、最初に言います。期待してしまう自分を、責めなくていい。それは弱さでも、甘さでも、判断ミスでもありません。

期待してしまうのは「人として自然」だから

人は、関係の中で希望を持ちます。好きだった人、家族、生活を共にする人。そう簡単に「終わり」にできない相手ほど、希望を持ってしまうのは当たり前です。・今日こそ穏やかに過ごせるかもしれない・今回は分かってくれるかもしれない・反省しているなら変われるかもしれないこう思うのは、あなたが弱いからではなく、あなたが人間だからです。信じようとした気持ちは、間違いではありません。

モラハラは「期待」を利用しやすい関係になりやすい

モラハラの関係で厄介なのは、いつも最初からひどいわけじゃないことです。優しい時期があったり、普通の会話ができる日があったり、急に反省したような言葉を言ったりします。その瞬間、心はこう反応します。「もしかして戻れるかも」「やっぱり私の勘違いだった?」「私が頑張れば…」でも、ここで大事なのは、あなたの心が“騙されやすい”のではなく、関係自体が期待を生みやすい構造になっているということです。モラハラでは、相手が「飴と鞭」を無自覚に繰り返すことがあります。きつい言葉や圧が続いたあとに、急に優しくされる。冷たかったのに、急に歩み寄られる。その落差は、人の脳に強く残ります。だから期待が生まれる。あなたの意思の弱さの問題じゃありません。

「反省してるように見える」瞬間があるからこそ苦しい

モラハラの特徴として、謝罪や反省が“ゼロ”とは限りません。むしろ、ある時だけはそれっぽく見えることがあります。・「ごめん、言いすぎた」・「もうしない」・「次から気をつける」・「俺も変わる」こう言われたら、人は信じたくなります。信じるのは、弱いからじゃない。「これ以上傷つきたくない」「どうにか良くなってほしい」その気持ちがあるからです。ただ、ここで一つだけ忘れないでほしいのは、言葉は、現実を変える証拠にはならないということ。謝ったことがある=変わった、ではありません。反省っぽいことを言った=理解した、でもありません。

期待したあなたが悪いんじゃない。見るべきは「繰り返し」だけ

責めるべきは「期待」ではなく、現実のほうです。ここからは基準をシンプルにします。見るのはこれだけでいい。同じことが繰り返されていないかあなたが萎縮しなくなっているか話し合いが成立するようになっているかあなたの安心感が増えているかもし、同じことが繰り返されるなら。あなたの中の緊張が増えるなら。言い方を変えても、タイミングを変えても、結局こちらが悪者にされるなら。それは「あなたの努力不足」ではなく、関係の構造が変わっていないだけです。

「期待してしまう私」は、守りたい気持ちの裏返し

期待してしまう人ほど、我慢強いことが多いです。相手の事情を想像してしまう。家庭のことを考えてしまう。子どものこと、生活のこと、世間体のこと。いろんな要素を抱えながら、ぎりぎりでバランスを取っている。だから、簡単に切り捨てられない。だから、希望を残してしまう。それは、あなたが弱いんじゃなくて、背負ってるものが多いだけです。

境界線は「一回言って終わり」ではない

モラハラの関係では、境界線を一度伝えたからといって、すぐに守られるとは限りません。境界線は、「引く」よりも「引き続ける」ほうがしんどい。だから、完璧にできなくていい。強く言えなくてもいい。今すぐ結論を出せなくてもいい。ただ、ひとつだけ。自分の中で、こう決めておいてください。境界線は、相手を変えるためじゃなく、自分を守るためにある。この軸があるだけで、期待に飲まれにくくなります。

あなたは、悪くない

期待してしまったあなたは、悪くありません。信じたかったあなたも、悪くありません。何度も考えたあなたも、悪くありません。ただ、現実は現実として見ていい。言葉より行動を見る。その基準を持つことは、冷たさではなく、自分を守るための優しさです。このサイト「モラ晴らし屋」では、モラハラに「気づいてしまった人」が、自分の感覚を取り戻すための言葉を置いています。

あなたは、悪くない。

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