夫婦で一緒に暮らしていれば、食べ物の好みが違うことなんて普通にあります。
肉はしっかり焼きたい人もいれば、焼きすぎない方が好きな人もいる。
味が濃い方が好きな人もいれば、薄味が好きな人もいる。
だからこれは、「夫婦で肉の焼き加減が違った」というだけの話ではありません。
私がしんどくなっていったのは、料理をするたびに繰り返される、小さな採点やダメ出しでした。
そして気づいたときには、私は夫のために肉を焼くことだけではなく、一緒に飲むことまでやめていました。
今回は、TikTok・YouTubeで投稿している「妻が話さなくなった理由」の場面を、私自身の体験からもう少し詳しく書いてみます。
「え?そんな焼き方するん?」から始まった
最初の頃、家族のご飯で肉を焼いていたときのことです。
私はフライパンに肉を入れて、混ぜながら焼いていました。
すると夫が言いました。
「え?そんな焼き方するん?」
私は普通に答えました。
「え?うん。子ども待ってるし、肉炒めやし、フライパンでバサッと入れて混ぜながら焼いた方が速いやん?」
すると、
「あー、肉がかわいそうやな」
「もったいな」
「そんな焼き方やったら焼きすぎなるやん」
と言われました。
私が、
「子ども待ってるのに、一枚ずつフライパンで焼くの?」
と聞くと、
「そんな焼き方、肉がまずくなる。俺は一枚ずつ焼き加減考えて焼くわ」
と言われました。
一枚ずつ丁寧に焼いた方がおいしい肉もあると思います。
夫がそういう焼き方を好きなのも、それ自体は別に悪いことではありません。
でも私がそのとき優先していたのは、家族のご飯を現実的な時間で用意することでした。
子どもがお腹を空かせて待っている。
肉だけを焼いているわけではなく、ほかのおかずもある。
そんな毎日の食事の中で、家族分の肉を一枚ずつ理想の焼き加減に仕上げることを、私は最優先にはしていませんでした。
そのうち、料理を「採点」されるようになった
夫と一緒にお酒を飲んでいた頃は、つまみの肉を焼くのも私でした。
でも、そのたびに何か言われる。
「あー、焼きすぎ」
あるときは、
「75点」
と点数をつけられる。
頼んでもいないのに、料理をするたびに評価されているような感覚になっていきました。
最初は聞いていました。
でも、それが何度も続くと、だんだん嫌になりました。
そして私は、
「そんなにこだわるんやったら、自分で焼いて」
と言うようになりました。
こうした小さな言葉は、一つだけなら大したことがないように見えるかもしれません。
でも、繰り返されることで負担になることもあります。問題を「大したことない」と小さく扱う心理については、モラハラ用語|ミニマイゼーションとは?|「大したことない」で終わらせてくる心理でも解説しています。
自分で焼いた方がおいしい。でも、自分で焼くのは嫌
夫は、自分で焼いた肉の方がおいしいと思っていたようです。
だったら自分の好きなように焼けばいい。
一見、それで解決するように思います。
実際、夫は自分のつまみなら、小さいフライパンで一枚ずつ焼くようになりました。
今の家に引っ越してからはオール電化になり、大きなフライパンを使うと真ん中だけ火が強く入りやすく、全体を均一に焼くのが難しくなりました。
それでも夫は、自分のつまみなら小さな卵焼き器を使って、一枚ずつ好みの焼き加減で焼いています。
でも家族全員分となれば話は別です。
小さいフライパンで、一枚ずつ、何枚も何枚も焼かなければならない。
時間も手間もかかります。
しかも子どもたちは、そこまで肉の焼き加減にこだわっているわけではありません。
むしろ夫が焼いた肉がかなり赤いと、子どもたちが少し嫌そうにすることもありました。
それでも空気を悪くしたくないのか、みんなで、
「うん……おいしいな」
と言って食べる。
私も同じでした。
いつの間にか食卓で、本当に自分がどう感じているかより、その場の空気を悪くしないことを優先するようになっていました。
自分には自分のこだわりがある。でも、そのこだわりを満たすための手間は相手に求める。
こうした場面を考えるときには、モラハラ用語|ダブルスタンダードとは?|自分だけルールが違う理由という考え方も参考になります。
もちろん、好みが違うだけでダブルスタンダードになるわけではありません。大切なのは、お互いに同じように選ぶ自由や断る自由があるかどうかです。
私が焼けば、また一言ついてくる
現実には、夫の帰宅が遅い日もあります。
子どもたちを夫の帰宅まで待たせるわけにはいきません。
だから、そんな日は私が子どもたちの分を焼いて、先に夕食を済ませます。
すると今度は、
「俺のんだけ焼いてくれへんの?」
「俺、めっちゃ疲れて帰ってきとるから、焼いてくれてもええんやけどな」
という話になっていきました。
じゃあ、焼く。
でも焼いたら焼いたで、また小さな一言が入ります。
「もうちょっと早く上げとったらよかったのにな」
「これ最初に味付けしたん?」
「なんかちょっと足りへんな」
大喧嘩になるような言葉ではありません。
ひとつひとつを取り出したら、ただの感想にも見えると思います。
でも、私には「またか」でした。
一度ではなく、何度も何度も続いてきたからです。
「おいしい」と言いながら、きれいに残す
さらに、私が作った野菜炒めや肉を食べながら、口では「おいしいな」と言うこともあります。
でも、残す。
特に私が少し目を離して肉を焼きすぎた日は、その肉をきれいに残す。
そしてそのあと、自分だけ別の肉を出して、自分の好きな焼き加減で焼くこともありました。
言葉では「おいしい」と言われている。
でも目の前では、私が作ったものが残され、別の肉が焼かれている。
私はそれを見るたびに、なんとも言えない気持ちになりました。
夫がどういう意図でそうしていたのかは分かりません。
ただ私には、「おいしい」と言われても、その言葉をそのまま受け取れなくなっていく出来事でした。
本当に褒められても、もう素直に喜べなくなった
逆に、たまにものすごく褒められる日もありました。
「今日の飯、めっちゃうまいわ」
「めっちゃうまい」
「こんなうまいの食べたことないわ」
本当においしいと思って言っていたのかもしれません。
でも、その頃の私はもう、素直に「ありがとう」と喜べなくなっていました。
普段の採点や小さなダメ出し、残された料理、そのあと自分だけ別の肉を焼く姿。
そういうものが積み重なりすぎて、極端に褒められても、私には嫌味のように聞こえてしまったのです。
言葉は、その一言だけで受け取るものではない。
それまでの関係や積み重ねによって、同じ「おいしい」でも聞こえ方は変わってしまうのだと思います。
私も「嫌なら食べんでええ」と言うようになった
もちろん、私もずっと何も言わず、穏やかに受け止め続けていたわけではありません。
何度も同じことが続けば、私も腹が立ちます。
そのうち夫が何か言うと、
「美味しくなかったら食べんでええで」
「嫌やったら自分で焼いてくれてええで」
と言うようになりました。
言われる。
私も言い返す。
お互いに気分が悪くなる。
そしてまた次の食事でも、似たようなことが起きる。
こうして振り返ると、夫婦の距離って、大きな出来事だけで開いていくわけではないんだと思います。
私の「嫌なら自分で焼いて」という言葉も、最初から相手を突き放したかったわけではありません。
何度も同じことが続く中で、自分が引き受けることの限界を感じていました。
相手を変えようとすることと、自分がどこまで引き受けるかを決めることは違います。
その違いについては、実践!境界線の伝え方|「嫌」「できない」を相手にどう伝える?で詳しく説明しています。
気づけば、私は一緒に飲まなくなっていた
最初の頃、私は夫と一緒にお酒を飲んでいました。
つまみを作って、一緒に食べて、一緒に飲んでいました。
でも、肉を焼けば何か言われる。
つまみを作れば採点される。
だったら自分で焼いて。
そうなってから、夫は自分のつまみを自分で焼いて、一人で飲むようになりました。
そして私は、夫に付き合って一緒に飲むことをやめました。
「今日からもう一緒に飲まない」
そう宣言したわけではありません。
少しずつです。
作るのが嫌になる。
言われるのが嫌になる。
言い返す自分も嫌になる。
一緒にいる時間そのものが、楽しくなくなる。
だから、離れる。
その方が楽になる。
境界線を引いたり、自分の行動を変えたりすると、それまでの人間関係にも変化が起きることがあります。
私の場合は、一緒に飲む時間がなくなっていきました。
こうした関係の変化については、境界線を引くと人間関係はどう変わる?|離れる人・近くなる人が見えてくる理由でも取り上げています。
妻が離れていくのは、大喧嘩をした日とは限らない
これは、「肉の焼き方はどちらが正しいのか」という話ではありません。
夫婦で好みが違うことはあります。
料理がおいしくない日だってある。
焼きすぎる日もあります。
「もう少しこうだったら好き」と伝えること自体が、すべて悪いわけでもありません。
でも私の場合は、毎日の小さな採点やダメ出しが積み重なっていきました。
そして私は、
「もっと上手に焼こう」
ではなく、
「もう私が焼かんかったらええ」
と思うようになりました。
さらにその先で、
「もう一緒に飲まんかったらええ」
になりました。
最初になくなったのは、肉を焼くことだったのかもしれません。
でも本当になくなっていったのは、「一緒に楽しもう」とする気持ちだったのだと思います。
「一人の方が楽」に変わっていく
妻が話さなくなったり、夫と何かを一緒にしなくなったりしたとき、最後の状態だけを見れば、
「最近、冷たくなった」
「一緒に飲んでくれなくなった」
「何もしてくれなくなった」
と見えるかもしれません。
でも、少なくとも私の場合は突然ではありませんでした。
一緒にやっていた。
何か言われた。
それでもやっていた。
また言われた。
私も言い返すようになった。
お互いに嫌な時間になった。
そして、やめた。
「一緒にいると楽しい」が、「一人の方が楽」に変わっていく。
私にとって「妻が話さなくなった理由」は、こういう小さな出来事の積み重ねでもありました。
このシリーズでは、私がある日突然黙ったのではなく、何を言わなくなり、何をしなくなり、どうやって少しずつ距離ができていったのかを、実際の出来事から書いています。
シリーズの入口はこちらです。
前回の体験談はこちらです。
妻が話さなくなった理由|体験談②「ご飯前やからやめて」が言えなくなるまで
最初の体験談はこちらです。



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