「昨日のご飯、まだいっぱい残ってるから、これ食べよ」
私にとっては、ただそれだけの話でした。
前日に炊いたご飯が残っている。
捨てるのはもったいないし、朝からまた新しく炊けば、その分の手間も電気代もかかる。
普段から夫には「節約しろ」と言われていたこともあり、私は残っているご飯を温めて朝食に出しました。
でも夫は言いました。
「まずいやん。俺、そういうの嫌いやねん。炊きたてじゃないと」
それが、朝ご飯の「正解」がどんどん分からなくなっていった始まりでした。
「納豆は炊きたてじゃないとまずいやん」
その朝、前日のご飯がたくさん残っていたので、私はそれを温めて出そうとしました。
夫は納豆を食べると言っていました。
でも、炊きたてのご飯がないと分かると、
「納豆は炊きたてじゃないとまずいやん」
「俺、そういうの嫌いやねん」
と言って、納豆をしまいました。
私は、
「じゃあ、卵かけご飯は?」
と聞きました。
でも、それも同じでした。
「卵かけご飯も炊きたてじゃないとまずいから、もういらんわ」
おかずもありました。
ご飯もありました。
朝食を何も用意していなかったわけではありません。
ただ、夫が食べたい条件に合う「炊きたてのご飯」がなかった。
そして夫は、朝食を食べず、不機嫌なまま仕事へ行きました。
じゃあ次の日は、新しく炊いておこう
食べずに不機嫌で出ていかれると、こちらも朝から気分が悪くなります。
だから私は考えます。
「昨日のご飯が嫌なら、次は朝に炊いておこう」
そして次の日は、夫の分も考えて余分に炊く。
ところが、そんな日に限って、
「今日は朝飯いらん」
と言うこともありました。
すると、せっかく炊いたご飯がまた余ります。
冷凍する。
また別の日に使う。
でも、その冷凍したご飯は夫にとっては「炊きたてではないご飯」になります。
私は節約しようとしていました。
でも夫の希望に合わせようとすれば、まだご飯があるのに新しく炊くことになります。
新しく炊けば、食べない日もある。
「じゃあ、どうしたらええん?」
だんだん、そんな気持ちになっていきました。
炊かなければ「俺には朝飯も作ってくれへん」
それでも、夫が食べるかもしれないと思って毎回余分に炊き続けるのもしんどくなります。
だから、その日の状況に合わせて炊かないこともありました。
すると今度は、
「俺には朝飯も作ってくれへんのか」
という話になる。
私からすると、
「いや、今まで作ってたやん」
「ご飯もおかずもあったやん」
「食べへんって言ったん、そっちやん」
という気持ちでした。
私にとって、「朝食を用意しなかったこと」と、「用意した朝食を夫が食べなかったこと」は同じではありませんでした。
でも、最後の状態だけを見れば、
「妻が俺の朝飯を作ってくれない」
になってしまう。
そのズレもしんどく感じていました。
残りご飯はダメ。炊いたら食べない。炊かなければ責められる
残っているご飯を出す。
「炊きたてじゃないと嫌」
じゃあ新しく炊く。
「今日は食べない」
じゃあ必要なときだけ炊こうとする。
「俺には朝飯も作ってくれへん」
私はだんだん、何を選んでも不正解になるような感覚になっていきました。
もちろん、夫が意図的に私を困らせようとしていたのかは分かりません。
ただ、私の側では「じゃあ次はどうすればいい?」と考えて対応しても、また別の不正解が出てくる状態になっていました。
どちらを選んでも責められるように感じる状態については、モラハラ用語|ダブルバインドとは?|どう転んでも責められる罠でも詳しく解説しています。
今回の出来事そのものを一つの言葉に当てはめたいわけではありません。
ただ、私が感じていた「どっちにしてもあかんやん」というしんどさを整理するうえで、知っておいてほしい考え方のひとつです。
「節約して」と言われる。でも、自分のご飯は炊きたて
もうひとつ、私が引っかかっていたことがあります。
夫からは普段、節約するように言われていました。
だから私は、残ったご飯を捨てずに使おうとします。
朝から新しく炊かなくても済むなら、その方が手間も少なくて済みます。
でも夫自身が納豆や卵かけご飯を食べるとなれば、
「炊きたてじゃないと嫌」
になる。
子どものお弁当に使うご飯については、「何でもええ」と言われたこともありました。
私は、節約すること自体が嫌だったわけではありません。
「節約しよう」というルールによって生じる不便を、誰が引き受けるのか。
そこに違和感がありました。
自分と相手で適用される基準が変わる状態については、モラハラ用語|ダブルスタンダードとは?|自分だけルールが違う理由でも解説しています。
もちろん、「炊きたてが好き」というだけでダブルスタンダードになるわけではありません。
私がしんどかったのは、節約を求められる一方で、そのための調整や手間を私が引き受ける状態になっていたことでした。
「食べない」と言われたものを出さない。でも、食べる
似たことは、ウインナーでもありました。
夫はウインナーについて、
「毒しか入ってない」
「俺は嫌いやから食べへん」
と言っていました。
だから私は当然、夫の朝食としてウインナーを用意する選択肢を外します。
ところが、ときどき子どものために置いていたウインナーを、夫が自分で食べることがありました。
食べること自体が嫌だったわけではありません。
私が困ったのは、
「食べないと言われたから出さない」という対応まで、正解にならないことでした。
「嫌いって言うたやん」
「じゃあ私は、何を基準に用意したらええん?」
そういう小さな混乱が、朝食のたびに増えていきました。
おにぎりにも「正解」がたくさんあった
夫の食事へのこだわりは、朝ご飯だけではありませんでした。
仕事へ持っていくおにぎりにも、いろいろな好みがありました。
ご飯は硬め。
できれば、その日の朝に炊いたもの。
塩にも好みがあり、私が違う塩を使うと「この塩嫌い」と言われる。
かつお節は嫌。
梅干しは一個分入れると多い。
鮭がいい。
一つひとつだけを見れば、ただの好みです。
私にだって、好きなものと嫌いなものはあります。
でも夫が、
「これは嫌」
「これは多い」
「これはまずい」
「これは違う」
と言うたびに、私が選べるものが一つずつ減っていくように感じました。
前日のご飯で握ったら「今日のおにぎり、まずかった」
ある日は、前日に残ったご飯を冷凍していたので、それを温めておにぎりにしました。
時間が経つと、夫にとっては食感がベチャッとしておいしくなかったようです。
帰ってきた夫から、
「今日のおにぎり、まずかったわ」
という話になる。
夫には、夫なりの好みがあります。
冷凍ご飯のおにぎりより、朝炊いた硬めのご飯で作ったおにぎりの方がおいしいと感じること自体を、私は否定したいわけではありません。
でも私はそのとき、残っているご飯を無駄にしないように使っていました。
「節約して」と言われながら、
残ったご飯を使えば「まずい」。
新しく炊けば、食べないこともある。
私の中で、またひとつ「じゃあどうしたらええん?」が増えていきました。
納豆にも、卵かけご飯にも「夫の正解」がある
納豆にも、夫なりの種類や量、食べ方へのこだわりがありました。
卵かけご飯なら、卵は一個ではなく二個がいい。
ご飯の量や食べ方にも、本人なりの好みがあります。
もちろん、こだわりがあること自体が悪いわけではありません。
問題だったのは、私にとって、そのこだわりがだんだん「私が覚えて、私が合わせるべき条件」になっていったことでした。
朝ご飯を用意するというより、
「今日はどれなら不正解にならない?」
と考えているような感覚になっていきました。
そして私は、「正解」を探すことをやめた
最初の私は、ちゃんと考えていました。
昨日のご飯が嫌なら、朝炊こう。
この具が嫌なら、別の具にしよう。
この塩が嫌なら、好きな塩を使おう。
硬めがいいなら、硬めにしよう。
食べると言うなら、多めに炊いておこう。
一つ言われるたびに、次はそうならないようにしようとしていました。
でも、そのうち疲れました。
条件を覚えても、また違う「嫌」が出てくる。
用意しても食べない日がある。
用意しなくなれば、「俺には作ってくれへん」と言われる。
そして私は、とうとう考えること自体をやめました。
「もう好きにして」
食べたいなら食べたらいい。
いらないなら食べなくてもいい。
自分の好きなようにして。
そうやって、私は夫の朝食に関わらなくなっていきました。
夫は、自分で朝ご飯を用意するようになりました。
最後だけ見れば、「朝飯を作らない妻」になる
この話の最後だけを切り取れば、
「妻が夫の朝ご飯を作らなくなった」
という話になります。
夫から見れば、
「俺には朝飯も作ってくれへん」
なのかもしれません。
でも私の中には、その前の時間があります。
作っていた。
食べてもらおうとしていた。
好みを聞いていた。
言われたことを覚えていた。
次はそうならないように考えていた。
それでも「違う」が続いた。
だから私は、少しずつ手を離しました。
「どうしたらいい?」と考えることをやめたのです。
「もう好きにして」は、最初の言葉ではなかった
「好きにしたら」
「自分でやって」
そう言う妻だけを見れば、冷たく見えるかもしれません。
でも少なくとも私の場合、その言葉は最初に出てきたものではありませんでした。
その前に、何度も考えました。
何度も合わせました。
何度も「次はどうしたらいい?」を繰り返しました。
そして、正解を探し続けることに疲れたあとで出てきた言葉でした。
境界線は、相手を思い通りにするための線ではなく、「私はここまでにする」と自分の行動を決めるためのものでもあります。
その考え方については、境界線を引こう。|合わない人から、あなたを守る「心の線」で詳しく書いています。
また、何度伝えても状況が変わらないときに、「もっと上手に説明すれば分かってもらえるはず」と自分だけが頑張り続けてしまうことがあります。
そんなときは、何度言っても無駄な人|「伝わっていない」のではなく、伝わっているのに変わらない理由も参考にしてください。
妻は、突然何もしなくなったわけじゃない
このシリーズで書きたいのは、まさにここです。
妻が突然、話さなくなった。
突然、一緒に何かをしなくなった。
突然、夫のために何かをすることをやめた。
外から見れば、そう見えることがあります。
でも私の場合は違いました。
その前に、ずっとやっていました。
伝えていました。
考えていました。
合わせようとしていました。
そして少しずつ、
「一緒に行きたい」を言わなくなった。
「やめてほしい」を言わなくなった。
一緒に楽しむことをやめた。
そして今度は、
「どうしたらいい?」と考えることまでやめました。
妻が話さなくなったのは、話すことがなくなったからとは限りません。
何を言っても、何をしても、正解にならないように感じる時間が長すぎたのかもしれません。
このシリーズの入口はこちらです。
前回は、料理を作るたびに採点やダメ出しが続き、夫婦で一緒に飲んでいた時間までなくなっていった体験を書きました。



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