境界線を引き続けたら、少しずつ変化が見えてきた|わが家で実際に起きた11のこと

境界線

境界線を引き始めたからといって、相手がすぐに変わるわけではありません。

昨日伝えたから、今日から別人になる。

そんなことは、わが家ではありませんでした。

むしろ、

「全然変わってないやん」

と思ったことも何度もあります。

少し良くなったと思ったら、また戻る。

「お、ちょっと変わった?」と思った翌日に、以前と同じことで腹が立つ。

そんなことの繰り返しです。

でも最近、ふと思ったんです。

「あれ? 前と比べたら、ちょっと違うんちゃう?」

大きな出来事があったわけではありません。

「俺、今日から変わるわ」と宣言されたわけでもありません。

日常の中の、本当に小さなことです。

ため息が減った。

黙って家事をするようになった。

話を蒸し返さなくなった。

私に「今日は楽したら?」と言うようになった。

一つひとつは、とても小さい。

でも、半年、一年という単位で以前と比べてみると、確かに違うことが増えていました。

今回は、私が境界線を引き続ける中で、わが家に実際に起きた11の変化を書いてみたいと思います。

これは「境界線を引けば相手は変わる」という話ではありません。

境界線は、本来、相手を変えるためのものではなく、自分を守るためのものです。

相手が変わらないこともあります。

また、ここに書く変化があれば「もう大丈夫」と判断できるチェックリストでもありません。

ただ、境界線を引き続けた一つの家庭で、こんな変化が起きた。

そんな一つの実体験として読んでもらえたらと思います。


1.ため息が明らかに減った

最初に気づいたのは、ものすごく小さなことでした。

ため息が減ったことです。

以前は、同じ空間にいるだけで何度もため息が聞こえてくることがありました。

本人は何も言っていない。

でも、

「はぁ……」

「はぁ……」

と繰り返されると、こちらはどうしても気になります。

「何か怒ってる?」

「私、何かした?」

そんなふうに相手の機嫌を読もうとしてしまうこともありました。

それが最近、明らかに減っています。

もちろん、ため息を一度もしなくなったわけではありません。

疲れている日もあります。

多い日だってあります。

だから私は、

「今日ため息をついた」

だけで、変わった・変わっていないを判断しないようにしています。

見るのは、もっと長い期間です。

以前と同じくらい一緒に過ごしていても、耳にする回数が明らかに少なくなっている。

一日ではなく、数か月単位で比べたときにどうなのか。

小さな変化を見るとき、これは大事な視点だと思っています。


2.家事を「手伝い」ではなく、自分の仕事としてするものが増えた

わが家では、夫は「たまにやる家事」よりも、「これは自分の仕事」と決まっている方が続きやすいタイプです。

そこで、朝の一回目の洗濯物を干すことなど、いくつかの家事が少しずつ夫の担当になっていきました。

私は朝、洗濯が終わったものをカゴに入れて置いておく。

夫がそれを干す。

そんな形です。

ウォーターサーバーの水を補充したり、製氷機に水を入れたりすることも増えました。

ゴミ捨ては、それより前から続いています。

洗濯物を畳んだり片づけたりするところまでは、まだ日によります。

私の帰りが遅くてできていないときにやってくれることもあれば、そのままの日もあります。

だから、家事を半分きっちり分担できるようになった、という話ではありません。

それでも以前と比べると、

「家事は基本的に私がやるもの」から、「自分がする家事もある」へ少しずつ変わってきました。


3.家事をしても「やっといたで」と言わなくなってきた

私にとって、これは意外と大きな変化でした。

以前は何かをすると、

「やっといたで」

という感じになることがありました。

もちろん、してもらったことに「ありがとう」と言うこと自体が嫌なわけではありません。

でも、毎日の家事を一方が背負っている状態で、もう一方がたまにした家事だけが「してあげたこと」になる。

私はそこに、しんどさを感じていました。

だから私自身も、家事を頼むときの立ち位置を少しずつ変えました。

「申し訳ないけど、やってもらっていいですか」

と、毎回下からお願いするような形ではなく、

「これは二人で回していく生活の仕事」

として扱うようにしていきました。

すると最近は、夫も黙ってやっていることが増えました。

「やったで」と報告すること自体が悪いわけではありません。

ただ、わが家では、家事が少しずつ「特別なお手伝い」ではなく「日常」になり始めたように感じています。


4.空気が悪くなったとき、すぐ怒りに持っていかなくなった

以前は、会話の空気が悪くなってくると、そこから怒りが大きくなることがありました。

こちらが距離を取ろうとする頃には、もうかなり険悪になっている。

そんな流れです。

私は境界線を意識するようになってから、

「この状態では話を続けない」

「これ以上は付き合わない」

と、会話から距離を取るようになりました。

それを繰り返す中で、最近は少し違う場面が出てきました。

私が距離を取るところまで行く前に、夫自身がその話を終わらせることがあるのです。

毎回ではありません。

また怒ることだってあります。

それでも、「空気が悪くなる→さらに怒る」という流れ以外の終わり方が出てきた。

私にとっては、それも一つの変化でした。


5.終わった話を蒸し返すことが減った

これも4番とつながっています。

以前は、その場では終わったはずの話が、あとからまた出てくることがありました。

違う話をしているときに持ち出される。

何時間か経ってから、また責められる。

別の日に、以前の話までセットで出てくる。

そうなると、こちらには「いつまで続くんだろう」という疲れが残ります。

最近は、いったん終わった話を、そのまま終わらせられる場面が増えてきました。

「今の話はここまで」にできる。

これは私自身が「終わった話にはもう付き合わない」という境界線を意識してきたこととも無関係ではないように感じています。

もちろん、本当の理由は本人にしか分かりません。

だから「私が境界線を引いたから夫がこうなった」と断定するつもりはありません。

ただ、以前とは違う。

その事実は感じています。


6.家族の予定やイベントを、自分から確認するようになった

家族の予定についても、小さな変化がありました。

以前より、予定やイベントの日を覚えていることが増えました。

そして、ここで私が「変わったな」と感じるのは、忘れないことだけではありません。

忘れていても、自分から「いつやった?」と聞くことが出てきたことです。

忘れることは誰にでもあります。

大切なのは、家族の予定を全部完璧に暗記することではありません。

「分からないから知らない」ではなく、自分から確認する。

家族の予定を、私だけが管理して伝えるものではなく、自分も関わるものとして扱う。

その小さな姿勢の変化を感じるようになりました。


7.自分自身の特性を、自分から知ろうとし始めた

これは、私が特に印象に残っている変化です。

夫が、自分自身の特性についての動画などを見るようになりました。

人間関係で問題が起きたとき、相手の問題を探すことは簡単です。

「お前の言い方が悪い」

「お前が怒るからや」

そうやって相手だけを見ていれば、自分自身を見る必要はありません。

でも、自分について調べるということは、少なくとも一度、

「自分の側にも、知る必要のあることがあるかもしれない」

と目を向けることでもあります。

もちろん、動画を見たからすべて理解したわけでも、すべての行動が変わったわけでもありません。

それでも、以前にはあまり見られなかった行動でした。

私はこの「自分を見る」という小さな動きを、大切な変化の一つとして見ています。


8.「今日は楽したら?」と言うようになった

以前の私は、家のことが回らなくなるほど疲れていても、やらなければならないことを抱えていました。

家事をして、仕事をして、子どものことをして。

それで余裕がなくなれば、片づけたい場所も、自分がしたいことも、どんどん後回しになります。

私は夫にも、

「私をもっと休ませないと無理」

「全部に手が回らないくらい限界なのに、この状態のままでは無理」

ということを伝えるようになりました。

最近、夫の方から、

「今日は晩ご飯、買いに行ったらええんちゃう?」

「たまには楽したらええんやで」

という言葉が出るようになりました。

私が変化を感じたのは、晩ご飯を作らなくてよくなったことだけではありません。

私が休むことを、相手の側から選択肢として出すようになったことです。

「頑張るのが当たり前」から、

「今日は頑張らなくてもいい」へ。

これも、わが家では以前にはあまりなかった変化です。


9.子どもの人格を傷つけるような言葉が減った

夫婦間だけではなく、子どもへの接し方にも少し変化が見えるようになりました。

以前は、子どもを叱るときに、行動への注意を越えて、その子自身を否定するような強い言葉になることがありました。

私はそこにも違和感を持っていました。

子どもが悪い行動をしたときに注意することと、子どもの人格そのものを否定することは違います。

最近は、そのような言葉がゼロになったわけではありません。

でも、

以前と比べると、人格を否定するような言葉を使う回数は減っています。

ここでも私は、「もう大丈夫」とは考えていません。

子どもへの言葉は、とても大切だからです。

ただ、以前より減ったという変化も、なかったことにはしたくないと思っています。


10.子どもの顔や、私と子どもの関わりを見るようになった

以前は、子どもを褒めるときも叱るときも、あまり顔を見ず、言葉だけで返しているように感じることがありました。

最近は、褒めるときに少し子どもの顔を見ることがあります。

そしてもう一つ。

私が子どもに話している内容を、夫が黙って聞いていることがあります。

私は子どもにどう説明しているのか。

どう声をかけているのか。

何を伝えているのか。

それを聞いている。

だからといって、「私の子育てを学んでいる」とまで言うことはできません。

本人にしか分からないことだからです。

ただ、

以前より、人との関わり方そのものに意識を向けているように見える場面が増えました。

私はそこにも、小さな変化を感じています。


11.人や世の中への文句が、明らかに減った

そして最近、改めて気づいたのがこれです。

人への文句が減りました。

以前は本当にいろいろなことに不満を口にしていました。

仕事の人。

その辺にいる人。

テレビに出ている人。

政治家。

外国人。

子どもの育て方についても、愚痴や強い主張、決めつけが出ることがありました。

対象は違っても、とにかく毎日のように誰かへの不満や批判を聞いているように感じていました。

それが最近、体感では以前の半分くらいまで減っています。

もちろん、今でも文句を言うことはあります。

私だって文句を言うことはあります。

だから、「文句を言わなくなったから人間性が変わった」という話ではありません。

私が見ているのは、もっと単純なことです。

以前に比べて、誰かを否定したり批判したりする言葉を耳にする頻度が、明らかに減った。

これも長い期間で振り返ったときに気づいた変化でした。


「変わったサイン」を、一日単位で探さない

ここまで11個書きました。

でも、昨日できていたことが、今日はできないこともあります。

優しく話せた翌日に、また以前のような言い方をすることもあります。

家事をしてくれる日もあれば、ほったらかしの日もあります。

だから、

「今日はできた。変わった!」

「今日はできなかった。やっぱり何も変わってない!」

と、一日ごとに判定していたら、私自身もしんどくなります。

私が見るようになったのは、

「半年前、一年前と比べて、何が減った? 何が増えた?」

ということです。

ため息は減った。

自分からする家事は増えた。

話を蒸し返すことは減った。

私を休ませようとする言葉は増えた。

子どもを傷つける言葉は減った。

自分自身について知ろうとする行動は増えた。

こうやって見ると、一日では分からなかったものが見えてきます。


三歩進んで、二歩下がる。それでも一歩は進んでいる

私の感覚では、変化は一直線ではありません。

三歩進んで、二歩下がる。

そんな感じです。

「お、変わってきたかも」

と思ったら、

「いや、そこ戻るんかい」

と思う。

また少し進む。

そして、また戻る。

その繰り返しです。

でも三歩進んで二歩下がったなら、計算上は一歩進んでいます。

その一歩は、小さすぎて毎日見ていると分からないのかもしれません。

半年、一年と振り返って初めて、

「そういえば、前はもっとしんどかったな」

と気づく。

わが家で起きているのは、そんな変化です。


境界線は「相手を変える方法」ではない

ここは、何度でも書いておきたいと思います。

境界線を引けば、相手が変わるとは限りません。

境界線は、相手を思い通りに動かすためのテクニックではありません。

「これをすれば夫が優しくなる」

「この言い方をすればモラハラが治る」

という保証もありません。

私自身、境界線を引いた目的は、夫を改造することではありませんでした。

これ以上、自分が無理をし続けないためです。

嫌なことには「嫌」と言う。

できないことは「できない」と言う。

怒鳴られている間は話を続けない。

家のことを全部一人で背負わない。

相手の機嫌を直すために、自分を削り続けない。

それを少しずつ続けてきました。

「何度言ってもやめない」その次は?|境界線を“伝える”から“行動する”へでも書いたように、境界線は「相手に何をさせるか」だけではなく、「私はどうするか」を決めるものでもあります。


相手が少し変わっても、境界線を全部外さなくていい

そして、これは今の私自身にも言いたいことです。

相手に変化が見えてくると、うれしくなります。

「もしかしたら、もう大丈夫かな」

と思うこともあります。

でも、だからといって、自分がせっかく作ってきた境界線を全部なくす必要はありません。

相手が変わったから境界線が不要になるのではなく、

お互いの境界線を尊重できる状態が普通になっていくこと。

私は、そこを目指したいと思っています。

以前のように全部我慢する自分へ戻ることが、関係の回復ではありません。

私が私のままでいられて、相手も相手のままでいられる。

その間に「ここから先は入らない」という線がある。

それで一緒に暮らしていけるなら、その方がいい。

境界線を引いたのに相手が変わらない|それでも境界線に意味がある理由でも書いていますが、相手が変わるかどうかに関係なく、境界線そのものには意味があります。


それでも変わらない相手もいる

私の家で変化があったからといって、すべての関係で同じことが起きるわけではありません。

何度伝えても変わらない人もいます。

境界線を示すことで、逆に怒りや圧力が強くなる人もいます。

「嫌だ」と伝えていることを分かったうえで、繰り返す人もいます。

だから、この記事の11個を、

「これをやれば相手が変わる11の方法」

として読んでほしくはありません。

これは、あくまで私の家庭で起きた11のことです。

もし相手が変わらなかったとしても、あなたの伝え方が足りなかったとは限りません。

「分かってるのにやめない人」|嫌がっていると知りながら繰り返すのはなぜ?でも書いたように、「分かっていること」と「尊重すること」は別です。

そして、境界線を示したことで暴力や脅迫などの危険が高まりそうな場合は、相手を変えようと粘ることより、自分や子どもの安全を優先してください。


まとめ|変化は、大きな言葉より小さな日常に出るのかもしれない

振り返ってみると、夫から大きな宣言があったわけではありません。

「これから俺は変わります」

と言われたから、変化に気づいたわけでもありません。

もっと小さなことでした。

ため息が一つ減った。

黙って洗濯物を干していた。

終わった話を、そのまま終わらせた。

「今日は楽したら?」と言った。

子どもの顔を見て話した。

一つだけなら、偶然かもしれません。

一日だけなら、機嫌がよかっただけかもしれません。

だから私は、急いで答えを出さずに見ています。

半年、一年前と比べたとき、何が減ったのか。

何が増えたのか。

そして、その変化が続いているのか。

三歩進んで、二歩下がる。

また戻ったように見える日もあります。

それでも、境界線を引く前の私まで戻る必要はありません。

私は私の境界線を、これからも引き続ける。

相手が変わるためではなく、まず私自身を守るために。

そして、その先で相手にも小さな変化が起きることがある。

今のわが家は、たぶんその途中です。

大きな「変わる」という言葉より、毎日の小さな行動を見る。

私が今感じているのは、そんなことです。


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