境界線を引き続けた、その先で|最後に変わったのは「私」だった

境界線

境界線について、ずっと書いてきました。

「嫌」と言うこと。

できないことを「できない」と言うこと。

相手が怒っても、自分の気持ちまで否定しないこと。

何度踏み込まれても、また線を引き直すこと。

そして、言葉で伝えるだけではなく、

「また同じことが起きたら、私はどうする?」

と、自分の行動を決めること。

ここまで境界線について考え続けて、最近ふと思ったことがあります。

結局、一番変わったのは誰だったんだろう。

夫にも、少しずつ変化が見えるようになりました。

ため息が減った。

家事をするようになった。

終わった話を蒸し返すことが減った。

私に「今日は楽したら?」と言うようになった。

子どもへの接し方にも、小さな変化が見えてきた。

そのことは、境界線を引き続けたら、少しずつ変化が見えてきた|わが家で実際に起きた11のことに書きました。

でも。

それより先に、確実に変わっていた人がいました。

私です。


昔の私は「どうしたら怒らせないか」を考えていた

以前の私は、何か問題が起きると、まず相手を見ていました。

「どう言えば怒らない?」

「今、言って大丈夫かな?」

「この言い方なら機嫌を悪くしないかな?」

「私がもう少し我慢したら済むかな?」

自分がどう感じているかより、相手がどう反応するか。

いつの間にか、そちらの方が重要になっていました。

だから、本当は嫌でも言えない。

しんどくても動く。

腹が立っていても、説明する。

相手が不機嫌になれば、その理由を考える。

そして最後には、

「私の言い方が悪かったんかな」

「私にも悪いところがあるしな」

と、自分の中で処理していました。

その頃の私は、相手との境界線より、相手の機嫌を守ることを優先していたんだと思います。


境界線を知って、最初に変わったのは「考える順番」だった

境界線を知ったからといって、急に強くなったわけではありません。

最初から上手に「NO」と言えたわけでもありません。

怖いものは怖い。

罪悪感も出る。

「これぐらい我慢した方がいいかな」と思うこともありました。

でも、一つだけ少しずつ変わっていきました。

考える順番です。

以前は、

「相手はどう思う?」

が最初でした。

今は、その前に、

「私はどう思ってる?」

を考えるようになりました。

嫌なのか。

できるのか。

疲れていないか。

本当はどうしたいのか。

たったそれだけのことです。

でも私にとっては、大きな変化でした。


「嫌」と感じた自分を、説得しなくなった

以前は、嫌なことがあっても、自分に説明していました。

「でも悪気はないんやろな」

「疲れとるんやろな」

「そういう性格やし」

「私も完璧じゃないし」

相手を理解しようとすること自体が悪いわけではありません。

相手の事情を知ることも大切です。

でも、相手を理解することと、自分の「嫌」を消すことは別でした。

相手に事情があっても、私は嫌だった。

その二つは同時に存在していい。

今は、そう思っています。

「嫌だと思った私」を、私自身が説得して黙らせることが少なくなりました。


相手の不機嫌を、全部拾わなくなった

ため息。

無言。

不機嫌そうな顔。

以前は、そういうものを感じるたびに反応していました。

「どうしたん?」

「怒ってる?」

「何かした?」

相手が不機嫌だと、自分まで落ち着かなくなる。

だから何とか元に戻そうとしていました。

でも境界線を意識するようになって、

「相手の機嫌は、相手のもの」

と考えるようになりました。

もちろん、一緒に暮らしていれば気にはなります。

完全に無関心になったわけではありません。

でも、相手が不機嫌だからといって、毎回私が機嫌を直す係になる必要はない。

そう思えるようになっただけで、ずいぶん違いました。


「お願い」するだけではなく、自分の生活を変え始めた

以前の私は、

「もう少し手伝ってほしい」

「もう少し休ませてほしい」

と、相手にお願いすることが中心でした。

でも、お願いだけでは状況が変わらないこともありました。

そこで少しずつ、

「私は全部やらない」

「これは二人ですること」

「今日は無理だからやらない」

という選択をするようになりました。

相手が納得してから休むのではなく、

私は休む必要があるから休む。

この考え方は、私にとってかなり大きなものでした。

「何度言ってもやめない」その次は?|境界線を“伝える”から“行動する”へでも書いたように、境界線は「こうしてください」と伝えるだけではなく、「そのとき私はどうするか」を決めるものでもあります。


説明し続けることを、少しずつやめた

以前は、分かってもらえないと説明していました。

一度で伝わらなければ二度。

二度で伝わらなければ、もっと詳しく。

「私が言いたいのはそういうことじゃなくて……」

「だから、あのときこうだったから……」

何とか理解してもらおうとしていました。

でも、何度も伝えていることまで、毎回ゼロから説明し直す必要はない。

そう思うようになりました。

「私は嫌だと伝えた」

「できないと伝えた」

それで終わっていいこともある。

相手が納得するまで説明することと、自分の意思を伝えることは違う。

この違いが分かってから、会話に使うエネルギーも少し変わりました。

何度言っても無駄な人|「伝わっていない」のではなく、伝わっているのに変わらない理由でも、この「伝わっていない」と「伝わっているのに変わらない」の違いについて書いています。


「嫌われないこと」が最優先ではなくなった

境界線を引くと、相手が嫌な顔をすることがあります。

「冷たくなった」

「前はそんなこと言わなかった」

そう思われることもあるかもしれません。

以前なら、それだけで境界線を引っ込めていたと思います。

でも今は、

嫌われないために、自分をなくす方が怖い。

そう思うようになりました。

誰かに嫌われても平気になった、という意味ではありません。

嫌われれば傷つきます。

大切な人なら、なおさらです。

でも、相手が私をどう評価するかは相手の領域。

私が何を受け入れ、何を受け入れないかは私の領域。

その二つを少しずつ分けて考えられるようになりました。

境界線を引いたら嫌われる?|「関係が壊れるのが怖い」と感じる理由でも、この怖さについて詳しく書いています。


相手が変わり始めても、前の自分には戻らない

最近、夫にも小さな変化が見えてきました。

それは素直にうれしいです。

関係が少し楽になるなら、その方がいい。

家族として穏やかに過ごせる時間が増えるなら、私はうれしい。

でも、ここで一つ忘れたくないことがあります。

相手が優しくなったからといって、私は以前の自分に戻らなくていい。

全部引き受ける。

全部我慢する。

相手の機嫌を先回りして読む。

嫌なことまで「まあいいか」と飲み込む。

そこへ戻ることが、関係が良くなるということではありません。

むしろ、相手が変わってきた今だからこそ、境界線を「特別な対策」ではなく、普通の関係の中に残していきたいと思っています。


境界線が必要なくなるのではなく、「普通」になっていく

以前の私は、境界線という言葉に少し冷たい印象を持っていたかもしれません。

線を引く。

距離を取る。

NOと言う。

なんとなく、人を拒絶するような感じがしました。

でも、今は違います。

本当は、普通の人間関係にも境界線があります。

嫌なことを嫌と言える。

断っても関係が終わらない。

相手のNOも尊重する。

一人になりたいときは一人になる。

助けてほしいときは助けを求める。

意見が違っても、どちらかが消える必要はない。

境界線がなくなることがゴールではなく、境界線があることが当たり前になる。

私は今、そちらを目指しています。


三歩進んで、二歩下がる。それは私も同じ

前の記事で、夫の変化について、

「三歩進んで、二歩下がる」

と書きました。

でも、それは私も同じです。

今日はNOと言えた。

次の日は言えなかった。

今日は相手の不機嫌を放っておけた。

別の日には気になって仕方なかった。

「もう説明しない」と思っていたのに、また一生懸命説明してしまうこともある。

それでもいいと思っています。

一度できなかったからといって、全部元に戻ったわけではありません。

また気づいたところから、境界線を引き直せばいい。

境界線は何度でも引き直していい|踏み込まれても「伝え続ける」ことが大切な理由は、そのために書いた記事でもあります。


もし相手が変わらなくても、あなたの変化は残る

私の家庭では、今のところ少しずつ変化が見えています。

でも、すべての人に同じことが起きるわけではありません。

境界線を何度引いても変わらない人もいます。

逆に、境界線を示すことで怒りや圧力が強くなる人もいます。

だから、

「境界線を引き続ければ、いつか相手が変わる」

とは言えません。

それを期待して耐え続けてほしいとも思いません。

でも、相手が変わらなかったとしても。

自分が「これは嫌だ」と分かるようになったこと。

自分にはNOと言う権利があると知ったこと。

相手の機嫌と、自分の責任を分けられるようになったこと。

自分を守る行動を選べるようになったこと。

それまで消えるわけではありません。

相手が変わるかどうかとは別に、あなたが取り戻したものは、あなたのものです。


境界線シリーズの最後に

ここまで境界線について何本も書いてきました。

最初は、

「境界線って何?」

というところからでした。

そして、

なぜ引けないのか。

なぜ罪悪感が出るのか。

なぜ境界線を引くと怒る人がいるのか。

何度越えられたらどうするのか。

相手が変わらなかったらどうするのか。

何度言ってもやめなかったら、その次はどうするのか。

一つずつ考えてきました。

そして最後に私がたどり着いたのは、とてもシンプルなことでした。

境界線は、相手を変えるための線ではなかった。

相手が結果的に変わることはあるかもしれません。

私の家でも、今、小さな変化が見えています。

でも、それは目的ではありません。

境界線を引く一番の理由は、

自分を守ること。

そして、

自分が自分でいられる場所を取り戻すこと。

だったんだと思います。


まとめ|最後に変わったのは「私」だった

相手を怒らせない方法を探していた私が、

自分はどうしたいのかを考えるようになった。

相手の不機嫌を全部拾っていた私が、

「それは相手の機嫌」と少し離して考えるようになった。

嫌なことまで我慢していた私が、

「私は嫌だ」と言うようになった。

全部やっていた私が、

「今日はできない」と休むようになった。

分かってもらえるまで説明していた私が、

「もう伝えた」と会話を終えられるようになった。

まだ完璧ではありません。

これからまた戻る日もあると思います。

でも、前の私とまったく同じではありません。

そして今なら、境界線という言葉をこう説明します。

境界線は、人を遠ざけるための線じゃなかった。

私が、私を見失わないための線だった。

これが、私が境界線を引き続けて、最後にたどり着いた答えです。


境界線シリーズを最初から読む

コメント

タイトルとURLをコピーしました