先日、子どもの七五三の写真撮影がありました。
子どもの成長を残す、家族にとって大切な日。
本当なら、楽しみにしていたはずの日です。
でもその日、写真館に着いた頃には、私はもう疲れていました。
子どもの支度が大変だったからだけではありません。
写真を撮る前から、私はずっと「家族全員を予定どおり動かす仕事」をしていたからです。
写真には、写らない
七五三の撮影について、夫にはかなり前から伝えていました。
2か月ほど前。
1か月ほど前。
1週間ほど前。
そして4日ほど前にも。
そのたびに「分かった」という反応はありました。
ところが、撮影前日の夜。
夫から突然、こんなことを言われました。
「明日仕事行きたいんやけど、なんか用事あったっけ?」
私は言いました。
「七五三の写真撮影やで。ずっと言ってたやん」
すると少し黙ったあと、夫は、
「ほんなら仕事休みにするわ」
と言いました。
その言い方に、少し引っかかりました。
夫自身も参加する家族の予定です。
それなのに、まるで「私の予定のために仕事を休んでくれる」ように聞こえたからです。
でも、そこで揉めたいわけではありません。
私は翌日の時間をもう一度伝えました。
撮影は朝9時。
8時半を過ぎたら、そろそろ家を出なければいけない。
一度言っても反応がなかったので、もう一度伝えました。
そこでようやく「ああ」という返事がありました。
これで伝わった。
私はそう思っていました。
当日の朝、私は自分以外の時計まで見ていた
翌朝。
私は子どもに朝ごはんを食べさせ、七五三の準備をしながら、自分の化粧や着替えもしていました。
もちろん時計も気にしています。
予約は9時です。
ところが8時半を過ぎても、夫は出かける準備を始めませんでした。
そこで私は、
「8時45分には出るで。そろそろ用意して」
と声をかけました。
返ってきたのは、
「急には無理」
という言葉。
さらに、
「そんな時間、聞いてない」
とも言われました。
昨日の夜にも伝えました。
予定そのものは、それ以前にも何度も伝えていました。
それでも当日の朝になると、また私が説明する側になります。
そして時間に間に合わせるためには、結局また私が、
「もう時間やで」
「用意して」
と声をかけなければなりません。
夫は文句を言いながら準備を始めました。
何とか家を出ることはできました。
でも、その時点ですでに私は疲れていました。
やっと出発しても、気持ちは休まらなかった
車を運転していたのは私です。
途中、後ろのタイヤが道路の端に少しかかった瞬間がありました。
すると夫から、
「危ない」
「気ぃつけろや」
と注意されました。
写真館に着いて、普通に駐車しようとしているときにも、
「横の車にぶつけんなよ」
と言われました。
そして私たちは車を降りて、家族で七五三の写真を撮りました。
出来上がった写真だけを見れば、ごく普通の家族写真です。
子どもが着物を着て、家族みんなで並んでいる。
きっと何年か後に見返せば、
「この頃、小さかったな」
と思うのでしょう。
でも、写真には写りません。
この一枚を撮るまでに、私が何回予定を伝えたのか。
何回時間を確認したのか。
子どもの準備をして、自分の準備をして、そのうえで大人一人の準備まで気にしていたことも。
どんな空気の車に乗って、ここまで来たのかも。
「だったら放っておけばいい」ができない予定もある
こういう話をすると、
「大人なんだから放っておけばいい」
「遅れるなら置いていけばいい」
と思う人もいるかもしれません。
もちろん、それができる予定もあります。
でも、家族の予定には、それでは済まないものがあります。
今回の七五三の家族写真もそうでした。
夫も写真に写ります。
予約時間があります。
着替えや撮影の段取りもあります。
入学式や卒業式なども、その家庭や状況によっては「遅れるなら勝手に来ればいい」で簡単に片づけられないことがあります。
つまり、
相手が必要な予定ほど、相手が動かないことのツケが、こちらにも回ってくる。
本人が遅れれば、本人だけの問題ではなくなるからです。
私は、何度も同じことを言いたかったわけじゃない
ここで、ふと思いました。
私はいつから、こんなに何度も予定を確認する人になったんだろう。
「忘れんといてな」
「○日やで」
「明日やで」
「何時に出るで」
「そろそろ用意して」
「もう時間やで」
一つひとつだけを切り取れば、確かに何度も言っています。
相手からすれば、
「何回言うねん」
「しつこい」
「細かい」
そう感じることもあるのかもしれません。
でも私は、最初から何度も言いたかったわけではありません。
一度伝えたら、自分で覚えていてほしかった。
時間になったら、自分で準備してほしかった。
それだけです。
「めんどくさい妻」は、どうやってできるのだろう
一度伝える。
でも動かない。
だから、もう一度伝える。
それでも準備しない。
遅れたら家族全員が困るから、時間を確認する。
そしてまた声をかける。
そうしているうちに、妻の声かけだけが増えていきます。
すると、最後に見えるのは、
「何回も同じことを言う妻」
です。
「口うるさい妻」
「細かい妻」
「しつこい妻」
「めんどくさい妻」
そこだけを切り取れば、そう見えることもあるでしょう。
でも、その一つ前には、
「言わないと生活や予定が回らなかった」
という時間があるかもしれません。
さらにその一つ前には、
「一度伝えたら、自分でやってくれると思っていた」
という時期があったのかもしれません。
忘れること自体を責めたいわけではない
もちろん、誰だって予定を忘れることはあります。
予定管理が苦手な人もいます。
仕事のことで頭がいっぱいになる日もあります。
だから私は、予定を忘れたという事実だけで、その人の気持ちや意図まで決めつけたいわけではありません。
大切なのは、忘れたあとにどうするかだと思っています。
「ごめん、忘れてた。何時やった?」
「分かった。準備しとくわ」
「教えてくれてありがとう」
そうやって自分の予定として引き取ってくれれば、こちらが最後まで管理し続ける必要はありません。
でも、
「聞いてない」
「急に言われても無理」
「そんな時間知らん」
と返されると、話は変わります。
予定を何度も伝えていた側が、今度は「ちゃんと伝えなかった側」のようになってしまうからです。
そしてまた、こちらが説明します。
「前にも言ったよ」
「昨日も言ったよ」
「何時って言ったよ」
気づけば、予定そのものより、
「言った・言ってない」
の話になっています。
家族イベントを支えている「見えない仕事」
家族イベントには、目に見える準備があります。
予約する。
衣装を用意する。
子どもの支度をする。
荷物を準備する。
でも、それだけではありません。
予定を覚えておく。
家族に共有する。
何時に家を出るか逆算する。
誰がまだ準備できていないかを見る。
遅れそうなら声をかける。
予定どおり進んでいるか確認する。
こうした「頭の中で家族を回す仕事」もあります。
この負担が一人に集中していると、イベントそのものは楽しくても、そこにたどり着くまでに疲れ切ってしまいます。
そして、その管理をしている人ほど、周囲からは「細かく指示する人」に見えることがあります。
でも、指示が多いことだけを見るのではなく、なぜその人が指示を出し続けなければならなくなったのか。
そこまで見なければ、本当の負担は見えてきません。
「今の姿」だけで、その人を判断しない
夫婦関係でも、人間関係でも、今見えている姿だけでは分からないことがあります。
何度も確認する人。
すぐイライラする人。
細かく予定を決めたがる人。
以前より口調が強くなった人。
もちろん、その行動自体を振り返ることは必要です。
でも同時に、
「この人は、なぜこうなったんだろう」
と、その前に起きていたことを見ることも大切だと思います。
私は最初から、何度も同じことを言いたかったわけではありません。
一度伝えたら覚えていてほしかった。
自分の予定は、自分で管理してほしかった。
私は子どもの準備と自分の準備をして、時間になったら、みんなで普通に家を出たかった。
ただ、それだけでした。
でも、それでは回らなかった。
だから確認した。
また伝えた。
時間を知らせた。
準備を促した。
そうして気づけば私は、
「何回も言ってくる、めんどくさい妻」になっていました。
「こいつ、めんどくさい」と思う前に
もし今、パートナーに対して、
「細かいな」
「何回言うねん」
「こいつ、めんどくさいな」
と思っている人がいるなら。
一度だけ、その一つ前を見てみてほしいと思います。
なぜ、その人は何回も言うようになったのか。
一回では動かなかったことはなかったか。
任せた結果、結局その人が後始末をすることになっていなかったか。
「言わなくても自分でやってほしい」と思いながら、それでも家族を回すために声をかけ続けていなかったか。
「めんどくさい人」になったのではなく、
めんどくさくならなければ、回らない状態だったのかもしれません。
写真には、そんなことは写りません。
でも、笑って写っているその人が、そこにたどり着くまでに何を背負っていたのか。
私は、それをなかったことにはしたくないと思っています。
関連記事
「何度言ってもやめない」その次は?|境界線を“伝える”から“行動する”へ



コメント